ss401t390904’s diary

偏屈頑固オヤジの戯言

支え。

 

 

 

金曜日の駿河湾沼津 SA (下り線)。天気が良い時の駿河湾は、綺麗だ。

いつもなら此処で休息にするのだが、時間に余裕があったので浜松 SA まで行った。

昼メシを食うだけの為にトラックを30分停めた。

 

 

「生きてる?」

 

金曜日。久しぶりに届いた女友達からのメールは、この一言。

この言葉に彼女の気持ちが籠っている。

傍から見れば「何言ってんだ?」と思うだろうけどね。

 

何処で、どうやってオレの気持ちを察知しているのだろう。

因みにオレのブログを読むような性格ではない。

「長すぎて読むのがめんどくさい」とか平気で言う人だから。(笑)

 

一応…女友達の事を説明しておこうか。 過去に何度もしているが、念のため。

彼女と知り合ったのは、オレが某有名企業の社員だった頃。

喫煙所で顔を合わせるから、世間話位はするようになった。

*彼女は何年も前に禁煙しているので、当時の話

年齢はオレより20歳下。まぁ、話が合う訳ないよな。

そもそも女性の少ない職場。そこでオッサンが若い娘と話してるだけで

奇異な目で見られそうだった。だから一定の距離は置いてたよ。

彼女がしていた当時流行り?のアイメイクは、今でも印象に残っている。

周りからも人気あったんじゃないかな。

だが独特のオーラがあって、話しかけられない男性が沢山いたようだ。

 

ある日の休憩時間が終わりかけていた時だった。

別の喫煙所から戻ってきたオレに、彼女が声を掛けてきた。

「浪人さん、ご飯誘ってよ」

こういう言い方って、あまりしないんじゃないかな。(笑)

だが、これが統べての始まりだった。

ご飯は勿論、泊りがけで旅行にも何回か行った。土佐へは2度行ってる。

だが、疚しい事は一切してない。誰も信じてくれないが。(笑)

 

全然性格合わない。好みも違う。だがね、彼女といると落ち着くんだよ。

お互いに何でも話した。オレが体調を崩し休職していても連絡をくれた。

オレが生き地獄に陥った時も、励まし続けてくれた。

彼女が結婚し2児の母親になって、会う事はなくなった。当たり前だが。

だが、今でも気遣ってくれる。これに変わりはない。

 

突然大型トラックの運行が決まった8月から怒涛の勢いで年末。

懸命に働いた。慣れない車両と大きさに散々苦労した。

客先でのトラブルで、社長と口論にもなった。

晦日まで、ひたすらトラックの手入れをしてた。

久しぶりに寛いでいたのは、その日の晩と翌1日の夕方まで。

あとは…ブログ見てもらえれば判るだろう。

 

他人の苦しみや悲しみにまで同化してしまい、メンタルがボロボロになった。

辛い。苦しい。オレが暖かくして寝てる時も、寒さに耐えてる人がいる。

そう思うと、眠れなくなった。何とかしてあげたいという思いしかない。

完全に過剰反応してる。情緒不安定にもなってる。

社長の奥さんが「自分の事も心配してあげて」とオレに声を掛ける位に。

 

そんな時に、女友達からメールが届いたんだよ。「生きてる?」って。

少しだけ事情をメールで伝えた。壊れかけてるって正直に伝えた。

来週時間作るから、電話で話そうと提案してくれた。

そしたら、一気に肩から力が抜けた。

オレ1人が焦ったって意味がない。こういう時だからこそ冷静にならなければ。

被災地に思いを寄せる人たちは沢山みえる。そう思えるようになった。

 

浜松 SA での仮眠は、久しぶりに穏やかだった。

そのままスマートインターで高速を降り、一般道で帰社。

冷たい雨が降る中で、ホイールナットの増し締めと洗車をした。

忘れかけていた麻衣子さんのライブチケットも申し込んだ。

オレの気持ちに呼応するように、大阪のチケット入手に成功。

ギタリスト氏を連れていける事にもなった。

 

*画像は【りんの田舎暮らし】コミュニティよりお借りしました



支え。

人は誰もが支え合って生きてる。特殊な生活してない限りね。

オレは何度も女友達に支えてもらった。周りの人たちにも支えてもらっている。

その恩を、決して忘れる事はない。

苦しい時や悲しい時に支えてもらえた嬉しさは、何物にも代えられない。

だからこそ!オレは誰かを支えてあげなければならない。

 

ライブ会場まで気を付けて来場してくださいというメッセージがきてた。

今日は京都で開催されるからね。麻衣子さんも心配してる。

 

youtu.be

 

 

自分を “浪人” だと自称している理由はね、人生を浪人したからなんだよ。

でも、生きるのを諦めなかった。歯を食いしばって生きてきた。

浪人であることを恥ずかしく思った事はない。