ss401t390904’s diary

偏屈頑固オヤジの戯言

“不沈船” と言われていた。

 

*画像は統べてお借りしたものです

 

 

サウサンプトンでの出港風景。

残念ながら、2度と戻ってこれなかった。

 

 

オレの TITANIC に対する思いには、誰も興味を示さない。

まぁ…無理もない話だ。

大概「マニアック過ぎる!」と言われて、おしまい。(笑)

最高に美しい客船だと、今でも思うのだが。

 

豪華客船 TITANIC 号を始め、戦艦大和など…。

幾つか自分なりに調べたことがある。

言うまでもない事だが、沈没船には必ず犠牲者がみえる。

戦艦に至っては『戦闘によって沈められた』ケースが殆どだ。

犠牲者というワードでは到底纏められない。

そう言った方々を冒涜するような事は厳禁。

ただ…純粋に沈没船を調べているだけである。

最近は多忙で、そんな余裕が無いんだがね。

 

1912年4月15日未明。

“不沈船” と揶揄された TITANIC 号は、氷山に衝突し僅か2時間半で沈没した。

1500名以上の乗客乗員を道連れにして。

1997年公開の映画【TITANIC】をご覧になった方なら、理解してもらえよう。

オレの知りうる限り、ジャックやローズ関係以外の人は実在しているし

沈没時の大パニックも、バンドマンが演奏していたのも事実である。

(最後の曲目に関しては証言者によってバラつきがある)

マードック氏の行動に関しては事実と異なるようだ。

 

OLYMPIC 号、TITANIC 号、BRATANNIC 号。

時代背景を含め、その数奇な運命はオレだけでなく世界中のマニアを魅了している。

意外に多いんだ。この船のファンは。

 

 

1945年4月7日。

戦艦大和は壮絶な最後を迎え、海中へと没した。

他の艦艇も複数が同じように。

 

 

こんなに巨大で、対艦戦闘に於いて絶大な攻撃力を持っていた戦艦大和

皮肉な事に、その攻撃力を発揮する事なく最後を迎えた。

弾薬の誘爆とも水蒸気爆発とも言われる大爆発によって艦体は3つに分断。

海底345メートルで静かに眠っている。

“坊ノ岬海戦” と言われる戦闘では、大和以外にも複数の艦船が沈められた。

枕崎にある平和祈念展望台へ行ったことがある。

そのエリアだけは空気の重さが違った。3度訪れたが、その感覚はいつも同じ。

艦と共に沈んだ将兵。その遺族。皆さんの思いが沢山交差していたな。

 

 

“不沈船” というモノは、存在しない。

客船でも戦艦でも、それは同じ。 厳密には同じ扱いできないのだが。

如何なる理由であろうと、命が奪われる行為は認めることができない。

 

モノ言わぬ沈没船たちが、映像や画像を通してオレに訴えかけてくるのは

悲痛な思いだけだ。2度と同じ過ちを犯してはならないと…。

 

 

 

Titanic - Nearer My God To Thee - YouTube

 

 

 

来週の今頃は、ライブの余韻に浸っているだろう。