まだ細かく撮影してないんだ。
車を引き取った日に数枚撮影しただけでね。
もう暫く猶予を。
オレは、ほぼ日記のようにブログを書いてる。
仕事柄毎日書けなくなってしまったんだがね。
評価されたいとか、読者を増やしたいといった欲は皆無。
ただ…こんなブログから、読んでくれた人に何かを伝えられたら…。
ダラダラ書き綴った文面の中から1つでも得られるものがあったら。
それで充分だ。 役に立てたのなら、何より嬉しい。
同じ苦しみを味わっている人。生きるのに疲れている人。
昨日オレが話したように、少しでも心が軽くなればいい。
それが訴える必要性の元になっている。
オレはオッサンだし見た目も悪い。(色んな意味で)
それ故初見の人には必ず警戒される。特に女性は、ね。
(不思議と動物には懐かれる。未だに理由が解からん)
それには慣れてるし、有らぬ誤解を招くのは御免。
相手が女性の時は必要以上に距離を置く。 オレも苦手だし。
例えば…
・食糧の買い出しに行った時。
自分の進行方向に居れば、迂回する。
レジに並ぶ時、ソーシャルディスタンス以上に距離を取る。
・映画館へ行った時。
エスカレーターに乗ろうとした時に居たら、10段位離れる。
そして絶対上を向かない。降りるまで俯いている。
目で追うような真似は間違ってもしない。
オレが心許して話せる女性は、女友達ただ1人だけ。
他の人には気持ち的に3歩くらい距離をとる対応。
逆に、オレも自分のテリトリに絶対入れない。
信用(信頼ですらない)できない人を家に招くかい? それと同じ。
こんなオレに興味を持って質問してくる人も居るのは居る。
だがね、その半分も回答しない。 教えたくない。
やんわりと曖昧にする。若しくは「秘密で~す」とか茶化す。
これは “訴える必要性” が無いから。
心疾患の事だってそうだ。
本来ならば、オレはドライバーに相応しくない。
連日メンタル削られて正気を維持するのは楽じゃない。
だがね、複数の人間に囲まれて同じ場所で1日中過ごすより
今の方が何百倍も楽なんだ。そういうの、もう懲り懲りなんだよ。
上の奴らに文句を言われ、下の人を庇うのは命が削れる。
自分で自分を守らなければ、確実に其処で死ぬ。
4年前のオレは、そうなりかけた。手放しかけた。
今の仕事は大変だし、ある意味命懸けだ。
だが楽しい時だって沢山ある。遣り甲斐もある仕事で、達成感もある。
責任は重いが、自主的に動く分自由も満喫できる。
念のため伝えておくが、主治医はオレの職業を知っている。
それに理解も示している。
何より…仕事を再開してからの回復ぶりに驚いているからね。
似たような疾患に苦しむ人へ伝えたい。
自分1人で抱え込んでは駄目だよ。それは症状の悪化しか招かない。
信頼できる人に訴えてほしい。「苦しい」って。
それは恥ずべき事でも後ろめたい事でもない。
力になってくれる人が、周りに居る。 必ず!
本当に誰も居なかったらオレに話しかけて。
オレは信用にも値しない人間だけど、苦しみは知っている。
何もかも失って、どん底から這い上がろうと足掻いてる。
1%でも力になれるなら、手を差し伸べます。
オレには女友達という良き理解者が居てくれた。
心の内を吐き出す事ができた。苦しみを訴えられた。
彼女はそれを敏感に察知していて、いつも先手を取ってくれた。
「浪人さん、釣りにいこ!」「浪人さん、ご飯食べにいこ!」
オレの話を聞くだけじゃない。持ち前の強さで叱咤される時もあった。
*これらは彼女が結婚する前の話。現在は時折電話で話すだけ。
何度支えられたことか…。 オレの恩人だよ。
訴える必要性。その思い、少しは伝わっただろうか…。
オレのブログを読んでくれた人の中に『不要な人』なんて絶対居ない。
此処を覗いてくれたのは、その証。
必要とされている事に気付いてないだけ。
期待に応える前に、元気を取り戻さないとね。(笑)
最近のオレが麻衣子さんの楽曲に拘る理由。
弾き語りのアルバムが大きな要因かな。
聴き手に訴える力が物凄いんだよ。既に “迫力” の領域だ。
これはさ、苦しみを己の努力で乗り越えた人が持っている感覚。
オレは知ってる。 彼女が苦しんでいたこと。
でもその体験が表現力を強くしたと思ってるよ。 彼女自身をもね。
この楽曲。どんな思いで歌ったか…。
「大丈夫」と語る麻衣子さんの気持ち。 伝わるかな。